万葉集第一巻 歌番号 01/0003

天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌

やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり

読書の記録

初見では長歌のつづくことに苦しんだ。連歌をきっかけに和歌を知ろうという動機で万葉集を読み始めたのにこれは和歌なのだろうかと当惑したし長歌は少しだけ自分の中に育まれはじめた575と77の鑑賞方法の外にある。

非常に読みづらいので万葉集を選んだことを後悔しかけた。しかしいま思えば短歌だけが和歌でないということを知る切っ掛けになったわけだしむしろ良い選択だった。

短歌だけに限定される歌集は和歌の豊穣を取り揃えていないことになる。古今集は古今和短歌集とでも呼ぶべきだろう。

ちなみにものの本(有名な辞書を含む)によると短連歌は和歌に入るのに長連歌は入らないという。出典あってのこととは思うが解せない。

万葉集最初の「和歌」という字は歌井戸王即和歌であり和える歌を意味する。この献歌にも次に返歌がつづく。

感想

百人一首では一首目と二首目に御製、その次第三に歌聖人麻呂が配置される。連歌において第三は重要な場所とされる。万葉集では第三をどのように位置づけているのか。

やすみしし 八隅知之

団塊世代を親に持つ世代は戦後の反省からプロパガンダに対し警戒心を植え付けられたはずだ。

大人になると家族や企業など自らの所属するグループが豊かになるように願う気持ちや責任が芽生える。その延長線上として国家にも豊かになってほしいと素直に願う。

かといって国民や家族を苦しめるような結果へ導くことは願わない。白紙委任状ではない理知的な共同体意識を期待する。

読み進めれば万葉集はそのような理知的なものであるという気になってくる。そのようなものであってほしいという願望だろうか。いずれ理知的であると読み取れる箇所を記録する。

梓弓

一部の単語は難しくすんなりとは読めなかった。弓を誉め弓を鳴らしていることはなんとなくわかった。万葉集で最初に出てくる道具は掘串となりその次は梓弓となった。

弓を鳴らすことで魔除けになるとか。漫画や小説で得た知識であり根拠は知らない。ひょっとすると万葉集が根拠となることもあるのだろうか。歌垣と国見の予祝に続くものとして国家安泰の祈りを推測する。

梓弓磯辺の小松誰が代にかよろづ代かねて種を蒔きけむ 人麻呂

古今集 907

単語・固有名詞について

八という数字

やすみしし(八隅知之)に関連して数字考など。

八百万の神の八百万ないし八は無数を意味していたのだろうか。歌集の題は万葉集だから万。五百枝など五百で無数を表す例も出てくる。無数を意味する言葉に変遷と見受けられる。

八重垣、八岐大蛇、八坂、八幡、八十島、八神、八十神。古来より八を重要視しているようにもみえるし単に「多数」という意味で用いているだけの場合もある。

万葉集で漢字として最初に登場する数字はやはり八。二首目に八間跡能國者(やまとのくには)とある。二首目の初句では山常庭(やまとには)と万葉仮名を用いているのに。不思議なことをしている。

※ 以下のちほど追記する

天皇

中皇命

間人連老

※ 情報はウィキソースから引用 万葉集/第一巻 – Wikisource

題詞

天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌

原文

八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執<能> <梓>弓之 奈加弭乃 音為奈里

訓読

やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり

仮名

やすみしし わがおほきみの あしたには とりなでたまひ ゆふへには いよりたたしし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり あさがりに いまたたすらし ゆふがりに いまたたすらし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり

翻訳

<翻訳なし>

たのしい万葉集()

あまねく国土をお治めになるわが天皇が、朝は朝で手にとってお撫でになり、夕方は夕方とておとり寄せになって立たれる、あの御愛用の梓の弓の、中弭の音が聞こえて来るようです。朝も夕も、今しも狩にお立ちになるようです。あの御愛用の梓の弓の、中弭の音が聞こえて来ます。

万葉百科

わが天皇が朝には手に取ってお撫でになり、夕方にはお取り寄せになって立たれるご愛用の梓の弓の中弭に響く音が聴こえてくるようです。朝猟りにいま立たれたようです。夕猟りにいま立たれたようです。ご愛用の梓の弓の中弭の響きが聴こえてきます。

万葉集入門

解釈

 万葉集の巻一巻頭歌群を見て行くと、一番は「そらみつ 大和の国は 押しなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも」と歌われ、自分こそが大和国の統治者であることを「告る」(宣言する)歌であり、二番は為政者たる天皇が支配する国土を「見る」歌であった。三番は「聞く」歌としてある。
 この場合、天皇が聞くのではなく、天皇の狩りに用いられるご愛用の弓弭の音を、中皇命(なかつすめらみこと)が「聞く」のである。
 長歌において繰り返された結び「みとらしの 梓の弓の 中弭の 音すなり」は、狩を始めるにあたり、豊猟を祈る鳴弦であり、弓讃め歌である。

高岡市万葉歴史館

論文等

発見次第記録したい。追加すべきものがあればご紹介いただきたい。



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