万葉集第一巻 歌番号 01/0005

幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌

 霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心

読書の記録

心療内科にかかったことは一度もない。

だから躁鬱にも統合失調症になったという記録はないしADHDと判定されたこともない。しかし副業のバーのDIYを始める数年前からこの頃までは統合失調症だったのかもしれない。

本当に病院に罹って長期入院をした友人には「そうやって個人判断で軽々しく統合失調症を語ってほしくない」と言われた。統合失調症マウンティングというものがあるとしたら世知辛い。

指摘してくれたのは探偵だった。「盗聴を疑うクライアントの八割は取り越し苦労だ」「お前がいうとおりだとしたら累計で一億円近くの予算がかかっている。お前はそんな予算をかけられるような資産や情報を持っていない」という。たしかにその通りだと納得したときなんらかのおかしい状態になっているのだなと自覚ができた。

頭を使い過ぎて脳が焼き切れたんじゃないかと思う。そこに新型コロナ疾患が重なった。それでBrain Fogというやつになったのではないか。病院に診断されての判断ではないので悪しからず。処理できるタスク量は異常に少なくなり判断を誤るようになった。

生活のための仕事、一般社団法人の業務、SNS活動、百人一首の勉強とコロナ疾患。

新型コロナに罹ったのは2月。復調後も国民文化祭の選者として3か月以内に1万句を読み選評しなければならない時期が重なった。酸欠のような状態で1万の句の空想の中を泳いでは論理的な採点をするの繰り返しだった。

句の空想が関係したのかわからないが統合失調症的症状のあいだはいわゆるスピリチュアル的思考になっていた。

処理能力がかなり落ちたことで世界の一部がもっと単純にみえる。歴史や日々の偶然の連続を擬人化させるような感覚を、概念ではなく実感として味わっていた。千葉市に引っ越す一年前はそのような状態のまま柏市から尾道まで往復2000キロのスーパーカブの旅に出た。随分と楽しい体験となったのだそれはまた別の機会に。

万葉集読書は回復を実感し始めた頃に開始した。

回復には、バー経営の困難と単純作業、新しい友人たちとの交流とささやかな恋などが助けになった。ストレッチと筋トレ、それから万葉集読書の習慣もよかった。

現実を取り戻しつつある、と今も人にいう。取り戻しつつある、のまま。

感想

百人一首との関係

わからない単語が多くすんなりとは消化できない歌だった。草枕や行幸という単語から旅(羈旅)であることやマイナー調の雰囲気をなんとなく感じた。最も気になった言葉は「焼く塩」だった。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ

権中納言定家(97番) 『新勅撰集』巻13・恋3・849

ちょっと差がつく『百人一首講座』

万葉集読書の前に百人一首読書をしておいたのはよかった。

何もしらないまま読み始めていたら岩壁のどこにも指を掛けられずにつるつると滑り落ちるばかりだっただろう。

「あ、定家のやつじゃん」という単純な安心と、定家がどのような理由でこの言葉を選んだのかとアバターを媒介して妄想できる安心。八代集全てにおいてこういう安心があると思うと百人一首さまさまである。百人一首は手掛かりになる。

不安と鎮魂

「神」という言葉が初登場した。二首目では龍の字が登場したがそれは「煙立龍(煙立ち立つ)」という使い方であってわかりやすく神を語る歌ではない。ここまでの4首も予祝など祭儀のための歌の性質があったがこれは憂いの歌だ。憂いの歌は予祝にならない気がする。めでたくない。

幾つか検索してみたところ旅の憂いの歌は鎮魂となるという説を唱えるものがあった。鎮魂と解釈すれば確かに定家の歌にも繋がる。

鎮魂とはなにか。遠つ神というのは祖先の神を意味するらしい。

またこの歌の頃既に塩を神聖とする感覚があったのかということも気になる。

枕詞

むらきものは心にかかる枕詞。肝のことらしい。

「心」について深く考えるだけの文化があったという事実に驚かされる。昔の人間の営みを舐めすぎていた。僕が感じるようなことは全て歌に詠まれている。心とは何か。

単語・固有名詞について

遠つ神

先祖の神

※追記予定

わづき

※追記予定

むらきもの

※追記予定

ぬえこ鳥

※追記予定

玉たすき

※追記予定

丈夫

万葉集は「ますらおぶり」と評される。初出のますらおに何を感じるか。

※追記予定

草枕

旅にあって草を枕にする。旅をどうとらえているか。

※追記予定

たづき

※追記予定

焼く塩

※追記予定

軍王

※追記予定

※ 情報はウィキソースから引用 万葉集/第一巻 – Wikisource

題詞

幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌

原文

霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨<座> 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情

訓読

霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心

仮名

かすみたつ ながきはるひの くれにける わづきもしらず むらきもの こころをいたみ ぬえこどり うらなけをれば たまたすき かけのよろしく とほつかみ わがおほきみの いでましの やまこすかぜの ひとりをる わがころもでに あさよひに かへらひぬれば ますらをと おもへるわれも くさまくら たびにしあれば おもひやる たづきをしらに あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる わがしたごころ

翻訳

なし

たのしい万葉集

霞立ちこめる春の長い日が、いつとなく暮れていくように、何ということもなく心が傷むので、ぬえ鳥のようにひそかに泣いていると、美しい襷(たすき)をかけるように口にするのもりっぱな、遠い昔は神であらせられた天皇がおでましになっている山を越して、風が、ひとり身のわが袖に、朝夕にひるがえるので、りっぱな男子と思っているわたしも、草を枕とする旅ゆえに憂いを晴らす術もなく、網の浦の海人(あま)少女たちの焼く塩のように、物思いのままに燃えて来ることよ。私の胸のうちは。

万葉百科

霞立つ長き春日が暮れていくように、理由もなく心が痛み、鵺鳥のように泣いていると、美しい襷を懸けるように遠き神であられるわが大君のいらっしゃる山を越えて、風が、独り居る私の袖を朝夕にひるがえらせるので、立派な男子と思っていた私も草を枕の旅にあって憂いを晴らす術も知らずに、網の浦の、海の海女(あま)処女たちが焼く塩のように、(家に残した妻を思って)心が焼けているよ。私の心の中は。

万葉集入門

解釈

なし

高岡市万葉歴史館

論文等

発見次第記録したい。追加すべきものがあればご紹介いただきたい。


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